『GのレコンギスタⅢ』を見て感動した話

7月22日、遂に公開された『GのレコンギスタⅢ 宇宙からの遺産』。

 

今日7月23日に見てきたので感想、というほどのものを書こうというのではなく。

新規シーンに感動したのでその感動だけ今日のうちにざくざくと書いてみようと、そんなわけです。

 

なので、話がかなりとっ散らかってますのでもし見てくださる方はいらっしゃいましたらごめんなさい。多分誤字脱字もひどいので後日改稿するかも。

あと当然ネタバレは必須です。

 

【GレコⅢの新規展開って】

 『GレコⅢ』はTVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』を劇場版5部作に再構成したうちの第3部目なのですが。

 TVシリーズでわかりづらい、という声が多かったらしいことを受けて、劇場版ではベルリくんが割と感情を吐露するようになったという側面があります。特に『Ⅱ』の感情を出す機会として追加された新規シーンが非常に好評だった。ケルベス教官との絡みのアレです。あのシーンでベルリくんがデレンセン教官と相対して何を思っていたのか、具体的に視聴者に開示されたわけです。

 『Ⅱ』のあのシーンを見たときでは、そりゃあTV版でも裏ではこんなこともあったろうねと思っていたのですが『Ⅲ』の新規シーンの感じは大分違う。(まあ大幅なカットやかなりの新規シーンがあったりと構成も変わっているので該当シーンの話をするなら新規展開と呼ぶべきでしょうか。)

 『Ⅲ』ではアイーダ姉弟であると判明したベルリが心情を吐露し、アイーダとも一応の感情の整理を行うイベントが追加された。その結果ルートが分岐したというか、新しい関係性が結ばれたという流れが出来たのでした。

 あのイベントが一種の禊になったというか、その後のザックス隊と戦ったシーンでも、ベルリの邪気がTV版と比較して少々抑えられていたというだけでなく、戦闘中の叫びをアイーダに聞かれていたらしいことにもベルリが反応ができていて、既に新しい関係性が始まっているんだなと実感させてくれました。

 新たに追加された展開には、視聴者にベルリの心情が分かりやすいように台詞を吐き出させるための新規シーンがあり、その結果として他の登場人物との新しい関係性が生まれてルートの分岐に至っているんですね。

 

【して本題】

 そんなルート分岐を生じさせた今回一番の新規展開、ベルリが「アイーダ目当てで海賊部隊にまで来て浮かれていたら姉でしたなんてなんなんじゃ恥ずかしいキレるぞ」みたいな叫びをどうやらノレドに聞かれていたという展開なんですけども。でノレドは「いつから聞いてた?」というベタな問いには答えないで「あたしは正直やっと勝てたと思った」と言うなり背を向けて去ってしまってやっぱりなんでもないから聞かなかったことにしろという姿がいじらしくて。

 視聴者である私目線ではこのノレドがいじらしいだけでいいんですけど、ベルリ視点ではこれ相当ありがたかったんじゃないかって思うんですよね。本当に恥ずかしいですよ。海賊部隊に行ったのはアイーダ目当てでした、と口にして認めてしまうと絶対ダンチに恥ずかしい。胸中にしまっているうちはキャピタルガード候補生の任務を言い訳の盾にしていられたというのに。そのうえ姉だっただなんて本当に恥ずかしい。その姉のためと思ってモビルスーツ動かして浮かれていたなんてまた更に恥ずかしいし、この言及をノレドに見られていたという恥ずかしさ。まああとついでに股に手突っ込んで喚いているところを見られていたというのも恥ずかしい。

 でもノレドはこの哀叫を聞いていたとも聞いていないとも言わずに、そんな恥ずかしいベルリのことを想っていることだけ示唆して背中を押してくれるんですよね。結局みんな自分の恥ずかしいところ抱えながらも妥協して生きていて、でも心のどこかでは誰かにそんなところを少しくらいは認めてもらいたい一心もあり。

 ベルリは自分の恥ずかしいところを完全に認めざるを得なくなっているこの状況で、今までの自分であってもこれからの自分であっても、ノレドは背中を押してくれる。

 この展開、ノレドがいてくれること、ノレドのお陰でアイーダと正面から向き合えてTV版と比較するとまだ余裕を持てたベルリに私はうるっと来ましたね。

 この展開の追加に、どういった更なる関係性が始まっていくのか楽しみですね。これからの『Gレコ』にも期待の念を込めて駄文を終えたいと思います。ありがとうございました。

セーラームーンS7話に見る、スキと同化と自己実現の話

セーラームーンSの7話を見て感じることがあったので話をしたい。

現在、セーラームーンcrystalの劇場版を記念して、旧アニメの無印からSまでがセーラームーン公式によってyoutubeで公開されている。
news-sailormoon.jp

これを機会にセーラームーンを久々に見ている。私は元々『S』までしか見たことがなかったので『superS』以降も配信して欲しかったところだが劇場版との兼ね合いがあるのだろうか。そのうち自分で金出して見ようか。因みに私『crystal』は見ていない。

ちょっと関係ない話になるけれども、今年6月オープンのスモールワールズ東京ではセーラームーン麻布十番を模したミニチュアが展示されている。私も一度行ってきたけれども素晴らしい施設であることを保証するので、行ったことがない方は是非とも足を運ぶことをオススメする。
www.smallworlds.jp


前置きはさておき、『S』の7話の話をしたいと思う。
美少女戦士セーラームーンS』7話「冷酷なウラヌス?まことのピンチ」
脚本榎戸洋司/コンテ宇田鋼之介/作監安藤正浩

セーラージュピターこと木野まこと主役回にして、『ウテナ』や『スタードライバー』などで知られる榎戸洋司氏が初めてセーラームーンで腕を振るった回である。榎戸洋司氏と言えば、ジェンダーとか大人子供とかのメタを用いながら自己実現がテーマの物語を手掛けている印象がある。『トップをねらえ!2』なんかもそうだし。
この回もテーマは自己実現がテーマであると言っていいと思う。

【簡単かつテキトーなあらすじまとめ】
通学中にバイクに轢かれかけるうさぎと木野まこと。咄嗟にうさぎを守った木野まことは手に怪我を負う。バイクに乗っていたのは考え事をしていた天王はるかだった。天王はるかに応急処置として手にスカーフを巻いてもらった木野まこと天王はるかに熱いまなざしを送るようになる。スカーフを口実にはるかに会いたいと考える木野まことであったが、翌日通学中に風で飛ばされたスカーフがダイモーンになってしまい心の結晶を狙われることとなる。ダイモーンのターゲットである木野まことをマークして心の結晶をいち早く手に入れたいセーラーウラヌスこと天王はるかは、木野まことをドライブデートに誘う。デート先でダイモーンが出現(以下略)、セーラー戦士勢揃いでダイモーンを倒す。木野まことは、自分を嵌めたウラヌスの正体とは知らず天王はるかの擦りむいた手に返ってきたスカーフを巻き、その無事を泣いて喜ぶ。後日、ブティックにてスカーフを巻いてカッコよく決めポーズする木野まことの姿があった。

【今回の主役】
もちろん今回は言わずもがな木野まことの成長を描いている訳なんですが。
冒頭でまことはうさぎにさりげなくコンプレックスに伴う思いを打ち明けている。
まこと「私の料理(が上手いの)は才能とかじゃないよ、でかくて、男っぽい女だから、せめて料理くらいはって思うのさ」
元々身体が大きいことは彼女のコンプレックスではあったが、料理上手はそれを補いうる女らしさとして努力して手に入れたスキルであるという事実が判明する。
木野まことは身体が大きく喧嘩が強いが家事が得意で、イケメンを見ると直ぐに「好きだった先輩に似ている、、」と頬を赤らめる、惚れっぽい乙女、というようなキャラ付けがされていて、火野レイ愛野美奈子に比べると自立性はやや低いように見受けられる。

木野まことの可能性の話】
そんな彼女がイケメンの天王はるかに手にスカーフを巻いてもらって、いつものように惚れるところからこの7話はスタートする。ただいつもと違うのは天王はるかは女性であるということ。天王はるかは「男役」として惚れられていて、ここには可能性が感じられる。木野まこと天王はるかになれたかもしれない可能性である。
天王はるかは割に自由に男と女を行き来するし、特別男らしさとか女らしさとかに縛られずに生きている。なんなら男女を意識する他人に対して容貌を利用し男女を使い分けてみせてさえいる。
天王はるかになれたかもしれない可能性」と言うが、何も天王はるかのような「男役」もこなせるキャラクターにもなれたということではなくて、自分の(本人曰く男っぽい)容姿を利用してみせる女にもなれたんじゃないかという話である。
※でもさあ、木野まことって背が高いだけで全然男っぽくないというか普通に可愛いデザインだと思うのよねえ

【そして可能性は】
木野まこと天王はるかに惚れ、スカーフを返すことを口実に会いたいと考えるし、ドライブデートにはひょいひょいついていく。デート先の海辺では「はるかさんステキ……」とうっとり見惚れる。惚れやすい彼女にとってはいつものことではあるけれど、完全に恋する乙女である。実際カッコイイし綺麗だしね。劇中でも木野まこと以外にも惚れた女の子は数知れずだった。
しかしそんな木野まことに入る仲間からの通信。まだ男を諦めちゃいけない、と言われ返す彼女の返答は「はるかさんカッコいいだろ、そのかっこよさに憧れるんだ」とのことで、いつもの惚れ気とはどうやら少し違うことが伺える。木野まこと天王はるかに対する「スキ」には羨望が含まれている。天王はるかという「イケメン」にいつものように惚れているうちに、「男っぽい」という自分の個性を「女っぽさ」で中和している自分と比較して、余りにも「男っぽさ」を謳歌している同性の天王はるかに憧れたのだ。
それじゃ今回の「スキ」は異性愛(話が面倒なので便宜上そういう呼称にする)ではなくなったのかと言うとそうではない。
「スキ」には相手の違うところを受け入れあっていくという要素があるとは思うのだが、その前に先ず最初に立つものは同化なのではなかろうか。

【スキと同化】
今回の木野まこと天王はるかを「スキ」になって、手をつなぐとかキスとかセックスとかしたいと思うのではなく、あたしもああなりたい、と思った。両者は違うようでいて本質的には同じようなものである。セックスに至るような性愛だって、相手の存在の一部を所有しあう関係になる。互いの一部を所有する行為ってそれは実質同化なのでは?
共通のものを見つけて情が湧いて、一つになる。男女とか関係なしに、この世でよくあることだろう、珍しくもない。「スキ」がもたらす結果は様々だが、「スキ」の性質自体は基本的に変わらないものであると思う。
変な話になってきたが、つまり私がここで言いたいのは、木野まことの「スキ」はいつの間にか別のものに取って代わられた訳ではないということだ。
ダイモーンを倒した後、手を擦りむいている天王はるかにスカーフを巻き返し、その無事を涙ぐんで喜ぶ。顔を赤らめていかにも女の子然の表情ではあるが天王はるかに対して「スカーフを巻く側」になった。
まこと「やっぱりはるかさんはステキだ、いつか私もはるかさんみたいにステキな女性になりたい」とのことで、「男っぽさ」を謳歌している彼女をステキな女性であると認識して、「女っぽさ」で中和してない自分も「ステキな女性」になれる、という気付きが感じられる。

自己実現
そんな訳で木野まことの惚れ気は同化意識へと昇華、自分もああなりたいと思うに至り、ブティックでささやかな変身を試みている姿が観察されてこの話は幕を閉じる。自己実現はいつだって「更にスキな自分」への変身である。木野まこと天王はるかをスキになって、中和していない自分のこともスキになって、「更にスキな自分」への変身に踏み出すことが出来た。自己愛だろうと他者愛だろうと、「スキ」は変身するための力をくれる。


木野まことが「男っぽさ」という言い方を使うので「男っぽさ」「女っぽさ」という表現を用いましたけども、そんな男女感に縛られたような言葉を使わずともこのニュアンスを出すことって不可能なのかしら。何かないですかね。
おわり

※【余談】
デートに繰り出す木野まことに関して「いくらカッコよくたって女の人を追いかけるなんて信じらんない」とコメントして、「レイちゃんだってこんなの持ってるくせに」、とうさぎに宝塚系の写真集?を引っ張り出される火野レイが最高すぎる。この女はちょっと頭で考えすぎるところがあるからこんな言葉が出てくるけれど、本能では大して気にしてないんですよね。この回ではないけれど、天王はるかに後ろに乗ってくかい?と誘われればキャー嬉しいと抱きついてみせるし、「可愛くある自分であるため」にそういうムーヴも一切辞さない。自立性が高い。。。こういう女がいい女です。